昭和40年11月19日 朝の御理解



 昨夜御祈念、お月次祭が終わりましてから、あの聞かせて頂いたんですけれども、委員長の話を聞いたんですが、今日熊本の井上組の社長が、見えることになっているといことっでございます。話を聞いておれば、聞いておるほど、そこのところだけを聞くと、実に不都合極まること幾らも重なって、今日はいよいよ本当にこっちも腹を決めて、大体やる気が有るのか、無いのかとというところまでおして話をしたいと。
 そのために、万事お繰り合わせを頂く様にと言う様な話ですもん。その話ばかりで夕べは、一時ごろまでお話がございました。聞かせて貰いますと。ほんとにそのただ行って見ているだけでは、成程仕事は仕事でございますから、分かりませんですけれども、少し勉強をさせて頂いたらです、分かる事がある。ただ言っておるだけいわゆるその。私は昨日こそそれを感じた事はないですけれども、本当にお互いが自分の事としてもいっちょ、おかげを頂かねばならんと言う様な事を常にそう思う。
 そんなこと言うたらもう、自分の事としてはいけんですね。神様の事として一つあたらにゃいかんですね。もうあまりにも話を聞けば聞くほどお粗末だなあと。例えば総代さんなら総代さんの中に、熱心に例えばまあ言うなら総代さんの中でも、熱心にまあ言うておられるという方たちがです。先日これはあの便所は大体どこですか、廊下は大体こっちでしようと言うてまあ、反対の方ばっかりあれだけの事が出来ておるのに、全然御造営のとこの配置のことすら、頭の中に入っておらん総代さんがあるのです。
 これはやっぱりこちらも向こうも怠慢なら、こちらも怠慢だという話をしておりました。本当にこれはもう中心をなす私の信心が、もう兎に角設計といい、もう向こうの組のことといいもうみなが一家と、もう本当にまあよう揃いも揃うてこういう、もう困った人達ばかりがと言う事を聞きながらです。皆が一家と言う事はこちらの信心も、そうだと言うことです。もう感じたんです、ね。
 まそう言うところに、もう何回もそう言う様な事があって、その怠慢でありミスであると、言った様な事をです、また後からあとおじされたり、またはいろいろ練られたりして、やっぱりここが返ってこれが、おかげじゃったと言う様な、やっとかっとのその、おかげにゃなって行きよるとしましても、ね。神様の働きというものが、おいおいいわゆる、やっとかっとの、神様の働きしか、感じれれない様な、私はその事を、神様に御願いさせて貰いよりましたらね、
 あのバーなんかにはなんちいうかね、あんなふうにしてあるあの、洋酒のいわゆる、カウンターがこう有りまして、洋酒がこう沢山飾ってある、中に人がおり、ラムネがこういっぱい飾ってあるね。それは勿論炭酸水なんかを必ず置く訳でございましょうけども、どんなに考えたって可笑しいです。吊り合わないでしょう、上には高級な洋酒がずらっと並んでおるのに、下には勿論ラムネのようなものを使います。
 ラムネでもまた良いかもしれません。ね。サイダーの様なものでも。けどもあそこには、炭酸水なら炭酸水。いわゆる甘味の無いものです。無いいわゆる炭酸水が置かれなければならない。ラムネでもただ甘いです。結局そのお互いの考え方が非常に甘い。神様のいわゆる御造営だから。神様が先頭に立って下さるのだから、何とか成って行くだろうというその、甘い考え方がです。
 やはりあちらの請負業者にも、それが響いておるのである。やかましゅう言いよるばってん、そげなこつはいっちょん分かりよらんと。例えばごまかそうと思うたらどげんでんごまかされると言った様なですね、甘いものがあるんだと。いう風に感じる。次には大きな木をですね。まこのくらいの高さから切ってあるです。そして上だけは使ってあるです。これはもうどっちん片つかん。
 下の方一番良い大事な所を、ね。けれども是を使うならば本当にもう、根からちっと褒められるけれども、根からもう一尺ばっかりいわば、掘り下げてうえからこう掘り上げたならば、まあ使えるだろうといわれる。それですと結局上の方も使えれば、下のほうも使えると言う事になる。やっぱりその事によってかえってほんなら、下の方も生きて来るだけではなくて、かって良い結果になって行った様な、根から掘り下げる。
 これは勿論私共の、言うたら芯から根からの信心というものがです。掘り出されていかなければ、ならないと言う事であって、私は思うた事です。いよいよん所をもう例えていうなら一言言うなら、今度のご住宅の方はもう仕方がないとしても、お広前の方だけは一つこういう様なミスが無い様に、一つ御願いしますよと言うて、なんか上の方だけは一生懸命にと言う事であったんです、この前の話が。ね。
 ところが昨日、秋永先生があちらへ行かれてから、色々調べられたところ、あのお広前の屋根に貼るあの板がですね、もうほんとに昨日立っておる木を切ってある、湧いてきておると言う様な木だそうですねえみんな。ですからあれが例えば縮まらん筈は絶対ないです。どんなに素直なボードでこうほんなら、締め上げといてもがたがたして、これはもう兎に角、もう折角のこれだけのみんなの真心を結集してから、こういうものが出来上がっていくのであるから。
 そう言う様なものを建ててたんでは、委員長としては自分としても、神様にも皆にも相すまんから、これは例えば四月が五月、五月が六月、七月になってもです。これは完全ないわゆる井上組自体がです。本当に良心的な仕事をしてもらわなければならないと言ったような事を、これは一例ですけれども言うておる。ですからどうしたその怠慢な事であろうかと、例えば相手をだけを責めずにどうしたこれは。
 いうなら設計のこげなミスだろうかと言わずに、やっぱりこちらの信心の怠慢であり信心のミスであると言う事。是はまあ委員長、あんた達の話を聞いておるとです。いかにもその皆んなが怠慢の様であるけれども、是は委員長あんた自身も一つ考えないといけない事だと。あんた自身もここは一つ責任を取る気持ちで、打ち込み所謂そのあちらに打ち込みの事と、信心の方を一つ考えなければいけないなと。
 もちろんそういう私自身が中心なのだから、私自身が言うのはもちろんだけれども、これはここに打って一丸、ほんなら私、そして委員長それに繋がる、各役役をしておられる、いわば総代さん方幹部の方たちがです。本当にこれは向こうも検討しなければならんと同時にです。こちらの信心を再検討して、行かなければいかないなと言う事を感じました。例えば昨日から、昨夜あたりの御理解を頂いておりますと。
 ほんとに一切が黙って受け抜いていく、本当に馬鹿と阿呆で受け抜いていくと言う事はです。そういう事を黙って見ておる、と言う事じゃないと私は思うのです。それを又皆さん帰りまして、夕べそれを委員長が昨日言うておりました。だから明日社長が参りましてから、どういうその雰囲気の中に、どういう気持ちで話を進めたらよいかと。ま先生が「良かそれを持って行きなさい」と。
 「黙って受けていきゃ良かがの」と仰りゃ、その気持ちでせんならんなりまっせんからとこう言うて、けども皆さんどんな風に思われるですか。いいと思われるですか。ね。水の滴るような例えばほんなら天井を貼られてもそれでいいでしょうか。どんなに考えたってもう私に聞かせてる事と、実際はもう全然違う事が幾らもあるんです。ね、例えばその大きなほんなら原木なら原木をもう、どれだけ手配がでけたと。
 実際は手配が出けて無い。いわば例えばお広前の天井を張る事は一番初めから分かっている事であるから、もう一番もう何ヶ月も前から、手配がしてあらなければならないのである。私も素人で分からんけれども、可笑しな事だなあと思う事があるんです。それはあの高良山杉を買わせて頂いた時、あの夏のころでした、ね。早く切っとかなければ、早くわいとかなければ乾燥せんから。
 折角こういう銘木といわれる木を使うのであるから、早くわいて乾燥させて頂かなきゃならんという、それがまあだ製材所にこずみがない。製材所からもうやのつけいのつけ、古賀さんを通してから、あんなにしてあそこに邪魔になるから、早くわく手配をしてくれと言うて来ておるけれども全然こちらから、古谷さんがたは行っておられません。ですからほんな少しあそこに来ておるだけを。
 ああやって後の大部分は、製材所の庭にこずんだまま。何かそれで、私もそれも何時か申しました事があるんですけども、「いいえもう五百年もたっておる木の事ですから、そげん、乾かさんで良か」ちいう風な事を、古屋さんが言われた事がございます。けれどもこの頃、あの内殿の方をして頂くあの、大工さんが、客殿の方を高良山杉でやると言う事を聞いてです。
 しかも自分があちらを見られてからです、ほんとに素晴らしい銘木であると、ところが、その半ば以上はまだ、そのまま原木にしてあると言う事を聞いてですね。もう繰り返し私に言うとられます。「先生あれは早くわいときなされなければいけません」そしてもうなさるなら、もう一番最後に今からわくならば、一番あすこを最後になさらなければ、折角の銘木が、銘木にならんと言うてから、繰り返し言われたんですよ。
 怠慢も怠慢、大変な怠慢ですね考えてみますと。本当言うならあんなに暑い時分から、切り倒してあってです。それをそのまま指図せずにほうからかしてある。それで製材所のほうでは、邪魔になるもんだから、もう一番下積みになっておる。現在ねこれは例え、自分の事としてでも、こんな事では怠慢です。出来ませんですよねえ。ましてや神様の事として、これが真心で奉仕をしたり、御用をさせてもらいよるものの、これは仕事だろうか。そうだろうかと。
 これはもうこちらの事としてですね。言う様なふうの事においてもやっぱり、一事が万事のこと。昨日、秋永先生から聞かせて頂きました。皆がここんとここげな所を分かっておるだろうか、気が付いておるだろうかと。勿論それは素人じゃから、分からんといえば、分からんのだけれどもです。そういう怠慢な事が、平気でなされておるという事にです。いよいよ、私共の信心の点としていかなければいけないなと、ね、
 確かに椛目の場合、あの住宅の場合でも、ああいう大変な、いろんなミスが御座いましたけれども、ミスのおかげでなら、こういうふうになって行きよる、ああいうふうになって行きよるという、おかげは頂いてまいります。それでまた今度の、お広前の方でもです。なら事前にです、そう言う様な事が、秋永先生なんかでもこれなんかは、私もうっかりしてました。
 けれども向こうが口を滑らせて、言うたから相手の事調べた所がもう、みんなそれです。もうほんとに真剣でした。もうこれだけでも明日社長が来た時に、この事だけでもです。ほんとにやる気か、やらん気かと言う事を、詰めても良い事だと言う事をです、言うております。そういう風に、事前に確かにお繰り合わせを頂いておる。ね、それがそげなふうになってしまっておるという事ではない。
 その事のおかげでこういう次の、おかげをも頂いておるので御座いますけれどもです。ね、いわばそういう、足踏み状態とか、そういう不都合な事がです。この御造営にかぎって、有ってよい筈が無いのに、それが繰り返しやっぱあっておるという事に、こちらの信心の、ほんとに総改まりと言う事がね大事なんです。そんな事私夕べ、神様にお詫びさせて頂きよりましたらですね、あの大根大きな大根を頂いて。
 大根の首の所に、黒くなっておりますね。しばらくたつとそうでしょうが、あの葉と大根のこの首のところに、黒いあそこに傷、お供えする時には、削ってお供えしますもんね。勿論煮て食べる時には、あそこは捨てる所でしょうが。ね。成程それはそのまま黙って頂くという事はです。黙って頂くという事は信心ですけれども、頂けんとこを頂く。それは、苦い思いをしながらでも頂く、臭い思いをしてでも頂く。
 それがこの身体のほうへ、食べにくくても滋養に成る様な物ならば頂かねばなりません。ね、私があの四年半という間、もうほんとに黙って頂くという修行で御座いましたから、例えばあん時、神様がお知らせとして下さったのは、ほうれん草というお知らせを下さった。ほうれん草のただ、赤い葉が枯れておろうが、泥が付いておろうが、髭根が付いておろうがそれを黙ってこう頂いて、だからジャギジャギする所もある。
 けども根も何も頂くから滋養にはなる。けどもさあこれからは、四年半のいわゆる、五年の記念祭の前の御大祭を境に、これからはこう言う事だけは、もう切って捨てなければならない。あれ以来椛目では、棒にも箸にも掛からんと言った様な、病人さんを預かって来た様な事は、もう致しません様になりましたが、また言うて来る人も、無くなって来たですね、確かに。ね、
 例えばほんなら、金をくれとか、金を貸してくれとかというと私が、もうそれこそ黙って、お賽銭箱ひっくり返して、みんなに私はやりました。渡しました。けどそう言う様な事がです。そう言う様な事が、例えばあってよかろう筈が無い。ね。そう言う所はやはり、切って捨てなければ、昨日委員長の話じゃないですけれども、この事も黙って一つほんなら、受けておけと仰るならおきますけれどもと言うけれどもです。ね、
 みすみす例えば、折角上に銅版が葺かれても、どんな素晴らしいんならたいひならたいひを持って、御広前が全部出来ましても、その一番肝心な所のいわば木がガタガタに縮んで参りましたら、どんなにボード立てで締め上げてありましても、そのボード自体がガタガタになる。全体の狂いになる事はもう、火を見るよりも明らかな様な事をです。そのまま黙って、見て過ごしておくことは、これは出来ないのであって。
 いわば大根の黒いところを削って取らなければいけないこと。また大根を持ってお知らせを下さったということはです。やはりあれはあの修行不足という事だと思うですね。苦労(黒う)してないで、白うしておるという事なんです。その事に限って、一つおかげ頂かにゃならん。だから昨日もう秋永先生から、ああた総代さん方に話しあったでしょう。だからあのうそれから先さん、まあ取り上げなんかで忙しい事で。
 皆が出てくると言う訳には参りませんし、また見に来たところで、皆さんがみぃんなで、ガタガタ悪口言うたところで、何にもなりませんから、ね。まあそこんところをそういうんじゃなくて、そのところを信心でお互い、検討させてもろうて貰う。そして改めてもう一遍、お広前の御造営の進行状態というものをです。自分のものにしてしまいなさらなければです。総代幹部その役役の方たちがです、ね、
 ですから私今までは、その自分の事としてと、言うて来たけれども、自分の事としてはいかん。神様の事として。神様の御用としてです、私共は、もちっとほんなら真心。自分の事ならほんなら、こんくらいの事は辛抱するけれども、事神様のことだから、これは辛抱は出来んぞと、言ったようなところまで、一段進めさせて、頂かなければ行けないなと思うのです。
 昨夜、そう言う事を聞かせて頂きましたら、あのう私も、ほんとに相済まん事だとこう、思いますと同時に、その事について、神様から頂きました。そのバーのカウンターにずらっと、大体なら炭酸水かなんかが、こう綺麗に並べられなければならないところに、ラムネが並べてあったり、ね。いわば普通だったら、根からここのところから切らなければならない木をこの辺から切ったり、この様な事だったら、もう大変なお粗末な事であり、ご無礼なことである。
 けれどもここにひとたび、これはもう本当に急速でしもうたと、けどもこれはもう一丁本気で根から、こんからちっとは大ごつばってん、切らじゃこてと言う事になってくればです。今度は上の方は、勿論役に立つのですけども、下の方もいよいよ生きていわゆる、返ってそのおかげになると言う事にもなるわけです。もうこの際本気でひとつ、根から掘り出させて貰う様な気持ちで、今日の井上組の方が見える方にも、あたらなければいけないじゃ無いかというふうに、感じたんです。
 どこうぞこれが総代さん方を始めです。いや総代さん方を始めじゃない。私を始めです。ね、総代さん方幹部の方たちがです、もう一遍そちらの方に喧しく言う前に、こちらの信心を検討させてもらって。夕べはだから結局はその事を申しました。「ね、例えば企画なら企画の、あの委員長でも残っておりましたから、企画だってこれから次の企画がされんだろうと私は申しました。
 してみると総代幹部委員長にだけに任せずに、あんた達もしっかりせにゃいけん。本気にならにゃ出来んぞと言うて、まあ申しました事で御座いましたけれどもね。素人で何にも見ても分からない。それは分からないのが当たり前ですけれどもです。そう言う様な事がんなら、非良心的な仕事を井上組にさせたんでは、井上組自体も、本当のおかげにならんだろうし、こちらはいよいよ迷惑千万な事になってまいりますから。
 信心の補そうをもう一遍、固めさせてもらう、締めなおさせてもらう、猛反省をさせてもらうところはさして頂いて、改まらせてもろうてです。ここんところを、おかげ頂かせてもらわなきゃならんと。日頃に信心よりかもう一段、御造営ということに限っては、もう一段、深めた信心を持ってです。私は、引き締め、または、身に付けていかなければならないと思うのです、ね。
   おかげ頂かれて下さい。